2008年11月30日

紅茶専門店アンナマリア 店主のお茶の履歴書 -日々、お茶と共に-      第10回 ウバの正体を知る

目 次

第1回 中国料理を通して ―中国茶との出会い―

第2回 主婦の憩いの時間に ―お茶はいつも正しく淹れて―

第3回 UVA そして DIMBULA

第4回 インド料理を通して ―スパイス入門―

第5回 園芸と農業(1) ―一人だけのティータイム―

第6回 園芸と農業(2) ―岐路 もしかしたらガーディナー

第7回 シンガポール時代(1)  ―料理のこと―

     第8回 シンガポール時代(2) ―紅茶のこと―

    第9回 シンガポール時代(3) ―中国茶のこと―

第10回 ウバの正体を知る

第11回    静岡の緑茶と静岡の紅茶について

第12回 米国フィラデルフィア美術館 ―茶室「寸暇楽庵」見学― 

第13回 本物のインド紅茶との出会い ―ダージリンの奥深さを知る―

第14回 本物のスリランカ紅茶との出会い ― とうとうゲット 最高のウバ

第15回 ロンドン研修 The Lanesboroughでの7日間

第16回 登録商標「紅茶専門店Anna Maria ―名前の由来―

第17回  終わりに 垣間見た歴史 ―紅茶を通して―

 

千葉県に庭付きの家を得てからは前述のとおり、基本的に自己流農業と園芸をしながら20年間過ごしたのですが、この間にシンガポールにも滞在し、色々な中国茶とマレーシアのBOH紅茶との出会いがありました。 

 

帰国後、5年間ほど英会話の講師のアルバイトをしたのですが、私が勤務していた英会話学校の学監が、ウバ及びディンブラーはスリランカの地域の名前で、それらの紅茶はその地域で生産される紅茶であることを教えてくれました。 その時やっとそれらの紅茶の謎が解けたのでした。

 

又、そのころから、デパートでもウバという紅茶を販売しているのを時々見かけるようになりました。 私は期待を持って、あるデパートでウバとディンブラーを買ってみたのですが、その期待は完全に裏切られたのでした。 その時に気が付いたことは、ウバ、ディンブラーだからおいしいのではなく、かつて私が飲んだあの紅茶は特級品だったということでした。

 

 

2008年11月23日

紅茶専門店Anna Maria店主のお茶の履歴書 ―― 日々、お茶と共に ――    シンガポール時代(2) -中国茶のこと -

目 次

第1回 中国料理を通して ―中国茶との出会い―

第2回 主婦の憩いの時間に ―お茶はいつも正しく淹れて―

第3回 UVA そして DIMBULA

第4回 インド料理を通して ―スパイス入門―

第5回 園芸と農業(1) ―一人だけのティータイム―

第6回 園芸と農業(2) ―岐路 もしかしたらガーディナー

第7回 シンガポール時代(1)  ―料理のこと―

     第8回 シンガポール時代(2) ―紅茶のこと―

 第9回 シンガポール時代(3) ―中国茶のこと―

  第10回 ウバの正体を知る

第11回    静岡の緑茶と静岡の紅茶について

第12回 米国フィラデルフィア美術館 ―茶室「寸暇楽庵」見学― 

第13回 本物のインド紅茶との出会い ―ダージリンの奥深さを知る―

第14回 本物のスリランカ紅茶との出会い ― とうとうゲット 最高のウバ

第15回 ロンドン研修 The Lanesboroughでの7日間

第16回 登録商標「紅茶専門店Anna Maria ―名前の由来―

第17回  終わりに 垣間見た歴史 ―紅茶を通して―

 

シンガポール在住中色々な中国茶を飲んでみました。 最終的に常飲するようになったお茶は、夫がチャイナタウンで勧められて買ってきた中国茶でした。 このお茶の水色は薄い茶系の赤で、淡い特徴的な香りと花の香りが立ち、とても飲みやすく、のどが渇くといくらでも飲めました。 夫がチャイナタウンへ、そのお茶を買いに行っても品切れの時がよくあり、必ずしも手に入るわけではありませんでした。 高級な中国茶ほどよく品切れになっていました。 華人の中には当然私などより中国茶に詳しい人がいるはずで、お茶の通が買いに来るようでした。

 

そのお茶は缶や箱に入っているわけではないのですが、防湿紙でライニングされた白っぽいわら半紙のような紙に包まれているだけなのに直方体の箱型を保ち、朱でその茶名を押印されていました。 公司の名も押印されていたかもしれませんが、そのような気がするだけではっきりと覚えていません。 年月を経るにつれて、シンガポールではこの中国茶が品切れになる頻度が高くなって来ました。 恐らく中国で経済成長が高まるにつれて、国内での購買力が上がり、輸出用に回らなくなったのだと思うのです。 そのうちに全く手に入らなくなってしまいました。

 

そのお茶は烏龍茶の一種で名前を大紅袍というのですが、その木は中国国内に数本しか残っていないそうで、一般市場に流通している茶葉はその木の接木から摘まれた物ということをつい最近知りました。  私がかつて飲んでいたあのお茶は原木のものだったのか接木のものだったのか今となっては知る由もありませんが、原木から摘まれたお茶がオークションでとても信じられない値段で取引されたことを聞いたことがあるのですが、聞き間違いだったかもしれません。 私はお茶を目的としていたのではなく、ましてやHPを持ち、私とお茶とのかかわりについて説明することなど思ったこともなかったので、このお茶について何か書き留めたものも無く、大変あいまいな表現で申し訳ありません。 あのお茶は私にとっては幻の中国茶となってしまいましたが、中国料理を作った時などはあのお茶を飲みたいと思う気持ちは変わりません。

 

特上のお茶には、はっきりとしたその茶葉だけの固有の味や香りが際立つものと、味や香りは強くないものの、体がいくらでもそのお茶を受け入れられ、且つ、飲むと体調の良くなる種類のものがあるということを体験したのはこの時でした。 この事実は、紅茶を仕入れるときの私の紅茶に対する尺度となっています。

 

つい最近、日本の大手飲料メーカーがそのお茶を売り出していたので、買い求めて見ました。 確かにその香りは、私がシンガポール在住時にも、帰国してからしばらくの間も日常的に飲んでいたあのお茶のものでした。 馥郁たる香は心地よく、味わいは滑らかで当時もそうだったように、いくらでも喉を通るのでした。  ですが、色に関してはあの時に飲んでいたお茶の水色は、大紅袍の名にふさわしい茶色がかった赤だったと思います。 そして、もう少し詳しく言うと、私が飲んでいた大紅袍は岩のりのような特徴的な香りがあったように思えます。 又、茶葉はもっとしっかり撚られていて重量感がありました。

 

 

2008年11月15日

紅茶専門店Anna Maria店主のお茶の履歴書 ―― 日々、お茶と共に ――    シンガポール時代(2) -紅茶のこと -

目 次

第1回 中国料理を通して ―中国茶との出会い―

第2回 主婦の憩いの時間に ―お茶はいつも正しく淹れて―

第3回 UVA そして DIMBULA

第4回 インド料理を通して ―スパイス入門―

第5回 園芸と農業(1) ―一人だけのティータイム―

第6回 園芸と農業(2) ―岐路 もしかしたらガーディナー

第7回 シンガポール時代(1)  ―料理のこと―

   第8回 シンガポール時代(2) ―紅茶のこと―

    第9回 シンガポール時代(3) ―中国茶のこと―

  第10回 ウバの正体を知る

第11回                    静岡の緑茶と静岡の紅茶について

第12回 米国フィラデルフィア美術館 ―茶室「寸暇楽庵」見学― 

第13回 本物のインド紅茶との出会い ―ダージリンの奥深さを知る―

第14回 本物のスリランカ紅茶との出会い ― とうとうゲット 最高のウバ

第15回 ロンドン研修 The Lanesboroughでの7日間

第16回 登録商標「紅茶専門店Anna Maria ―名前の由来―

第17回  終わりに 垣間見た歴史 ―紅茶を通して―

 

シンガポールはスリランカに近いので、日本では手に入らない紅茶を売っているに違いないと期待しましたが、当時どのデパートやその他の商業施設でも、あの忘れられないディンブラー、ウバ と称する紅茶はみつかりませんでした。 日本人駐在員の奥様同士でフランスのブランドのアップルティーが時々話題になっていて、私も試みましたが私の好みではありませんでした。 

 

1980年代以降、各種フレーバーティー、例えばマンゴーティーとかライチティーなどを友人から頂いたことがありましたが、どれも私の好みではありませんでした。 コーヒーにも様々なフレーバーの付いた物があり、これも頂き物でしたが、やはり好きではありませんでした。 シンガポールではマレーシアで作られたBOHというブランドの紅茶が一般的であったので、朝はBOHの紅茶を飲んでいました。 ウバ、ディンブラーという紅茶はとうとう手にすることができず、紅茶に関しては失望して帰国することになりました。

 

前述のBOH紅茶に関してですが、2008年7月に所用でマレーシアに行った折、時間を工面してBOH 紅茶農園を見学してきました。 農園は海抜1500から1600メートルの高地にあり、ティーハウスの広いテラスは農園の上に張り出して作られていて、そのテラスから農園やそれに連なるジャングルを見渡しながら飲む懐かしいBOH紅茶の味は格別でした。

 

かつてイギリス植民地であったシンガポールでは、どのホテルでもハイティーとかアフタヌーンティーが楽しめました。 太ることを気にしながらも、華やかな場所でお菓子を沢山食べられるという甘い誘惑は圧倒的であり、子供たちと、あるいは家族で、あるいは夫の同僚の奥様達と一緒にあちこちのホテルのアフタヌーンティーを楽しんで歩きまわりました。  けれど、彼の地での当時の紅茶の品質に関しては、4つ星・5つ星のホテルでさえ前述したとおりでした。 

2008年11月 8日

紅茶専門店Anna Maria店主のお茶の履歴書 ―― 日々、お茶と共に ――    シンガポール時代(1) - 料理のこと -

目 次

 

   第1回     中国料理を通して ―中国茶との出会い―

第2回 主婦の憩いの時間に ―お茶はいつも正しく淹れて―

第3回    UVA そして DIMBULA

第4回    インド料理を通して ―スパイス入門―

第5回    園芸と農業(1) ―一人だけのティータイム―

   第6回      園芸と農業(2) ―岐路 もしかしたらガーディナー

  第7回  シンガポール時代(1)  ―料理のこと―

第8回     シンガポール時代(2) ―紅茶のこと―

第9回     シンガポール時代(3) ―中国茶のこと―

第10回    ウバの正体を知る

第11回    静岡の緑茶と静岡の紅茶について

第12回 米国フィラデルフィア美術館 ―茶室「寸暇楽庵」見学― 

第13回 本物のインド紅茶との出会い ―ダージリンの奥深さを知る―

第14回 本物のスリランカ紅茶との出会い ― とうとうゲット 最高のウバ

第15回 ロンドン研修 The Lanesboroughでの7日間

第16回  登録商標「紅茶専門店Anna Maria ―名前の由来―

第17回     終わりに 垣間見た歴史 ―紅茶を通して―

 

夫の転勤に伴い一時期、家族でシンガポールに住みました。

 

シンガポール在住時には中華料理とマレー料理、又、それらが融合したノンニャ料理、インド、タイ、ベトナム料理などに親しみました。 もともと、中国及びインド料理が我が家の家庭料理でしたので、さほどの違和感も覚えませんでした。 マンゴー、マンゴスティン、ドリヤン、ランブータン、ライチ、パパイヤなど食卓はいつも南国の果物で彩られていました。

 

あるとき、ふかひれスープを作ってみました。 主材料は、市場で買ってきたまだ温かい鶏一羽、生きている大きなメスの蟹、ふかひれ、鶏の卵です。 蟹を殺さなければならず、食べることは即ち生物の命を頂くということを体験しました。 後にも先にもあれほどおいしいふかひれスープを食べたことはなく、けれども、もう二度と作りたくない一品です。

 

お手伝いさんにモンキーバナナのバナナケーキの作り方を教えてもらいましたが、日本人に向くようにレシピを整え帰国してから作ってみました。 これは大好評でした。

 

 

2008年11月 1日

紅茶専門店Anna Maria店主のお茶の履歴書 ―― 日々、お茶と共に ――    園芸と農業(2) 岐路 もしかしたらガーディナー

目 次

   第1回     中国料理を通して ―中国茶との出会い―

第2回 主婦の憩いの時間に ―お茶はいつも正しく淹れて―

第3回    UVA そして DIMBULA

第4回    インド料理を通して ―スパイス入門―

第5回    園芸と農業(1) ―一人だけのティータイム―

   第6回      園芸と農業(2) ―岐路 もしかしたらガーディナー

第7回 シンガポール時代(1)  ―料理のこと―

第8回     シンガポール時代(2) ―紅茶のこと―

第9回     シンガポール時代(3) ―中国茶のこと―

第10回    ウバの正体を知る

第11回    静岡の緑茶と静岡の紅茶について

第12回  米国フィラデルフィア美術館 ―茶室「寸暇楽庵」見学― 

第13回  本物のインド紅茶との出会い ―ダージリンの奥深さを知る―

第14回  本物のスリランカ紅茶との出会い ― とうとうゲット 最高のウバ

第15回 ロンドン研修 The Lanesboroughでの7日間

第16回  登録商標「紅茶専門店Anna Maria ―名前の由来―

第17回     終わりに 垣間見た歴史 ―紅茶を通して―

 

 

ガーデニングという言葉がまだ一般的ではなかった頃から、私はせっせと庭を耕し四季折々の花々やハーブなども育てていました。 そして、夫にイギリスの通販誌からガーデニングの道具などを買ってもらって、自分流庭作りに励みました。

20代の始めの頃にある芸術家のお宅の庭に心を動かされ、心の中にしまいこんでいたそのイメージを自分の庭にも再現したいという秘かな志もあり、庭の一部にほんの少し試みて、それは玄関に至るアプローチなのですが、そこを通るたびにとても満ち足りた気分になりました。

 

私はイギリスにガーデニング留学をしたいと思うようになりましたが、この頃会社員の夫は管理職として多忙を極め、子供たちは高校生で毎朝お弁当が必要でした。 特に次男はご飯が好きで、毎朝二合のご飯をお弁当箱にぎゅうぎゅう詰めにしてやらねばなりませんでした。 そして毎朝、夫と子供を車で駅まで送り、家に帰るやいなや飼い犬のジョンを散歩に連れ出し、生ゴミを捨てに行く日課を思うと、趣味を実現するために私一人がイギリスへ行くことなど到底言い出せるものではなく、ガーデニング留学はあきらめました。

 

親戚のブーイングもものかは、もしこのとき私がガーデニング留学を強行していたら、私は間違いなくハーブコーディネーターとか、ガーデニングアドバイザーなどという肩書の付いた職業に就いたと思います。 これこそ「趣味が高じて仕事を始めた」ことになります。 このように思い返して見ると、人生のその時々に立ち会う岐路で、その選択の如何により、人生は様々な展開をするものだとつくづく思います。

 

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